アドバイス罪を痛感した話

突然ですが、先日私は初対面の人間から「より良く生きる方法を知りたくはないか」と言われました。
今考えをシフトしないとそこそこで終わるとも。

その時感じました。
あ、これ受け入れたら脳が死ぬやつだ、と。


私は別段人からのアドバイスを全て除去しようとは思っていません。
仕事でもプライベートでも参考になることは多々あります。
でも、それは私が相手をよく知り、また相手も私を知っていての話です。
同じ方向を向いているからこそできる話なのです。
さらに言えばそこには自分で考える隙がある。

赤の他人から、ましてや人生観や性格、将来に関することに言及してくるとなれば殊更別で、アドバイスを審議する以前の問題です。
求めていないアドバイスはマナー違反というのも頷けます。

どんなに「責任のとれないことは言わない」と言われたところで土台根本が違います。
責任をとる云々の前に、私の思考過程を奪わないでくれという話なのです。


その人は実績もあり、スキルもあり、成功体験もあります。
それは素晴らしいと思うし、恐らく成功するためのプロセスを教えてもらって実行すれば、同じだけの成功体験が私もできるでしょう。

でもそれはあくまでもその人のものであって、私が求めているものではありません。

私がその人ではない限り、その成功体験に価値を見いだすのは難しいし、逆にその人も私にとっての価値がなんなのか知り得ないのにプロセスを伝授すると言っている時点で、失礼ながらまるで効果の分からない壺を霊験あらたかなモノだよと言って売り付けてくるマルチと変わりません。
「今○○しないと将来大変だよ」等と言われようものなら、最早恐喝と言っても差し支えないでしょう。


自分で思考し、導きだした結論こそが自身にとって価値あるもので、人から教えられてどうこうするものではないだろうというのが私の考えです。

恐らくこれを言うと、視野が狭いだのモチベーションが低いだのその程度で良いなら良いよと言ってくることでしょう。
構いません。アドバイスされて思考力と感情が殺されるくらいならその人たちの言う狭い視野を選びます。
私が目指すのはあくまで私自身で考えて導きだした答えを生かす人生です。


今回、この事で心身共に疲弊して受けなくていいストレスを感じた身として、
あきまん氏の提唱する【アドバイス罪】を拝読して、あぁ、まさにこれ、となった次第です。

そして学生の頃に講師が言っていた「他人を使ってアドバイスと言う名のマスターベーションをするんじゃない」という言葉を身をもって体験しました。

私自身気を付けつつ、そういったひとたちとは距離をとっていきたいものです。