痴漢冤罪に怯えるひとへ

ここ最近TwitterなどのSNSで度々話題に上る痴漢、性犯罪の問題

そしてその話題になると必ず出てくるのが

 

「冤罪かもしれないのに」

「被害者にも落ち度があったんじゃないか」の声

 

その声が出る度に被害者はセカンドレイプされ、悩み萎縮し自分を責めるし

犯罪行為そのものを憎む人たちからは憤怒の声が上がり果ては

「そんなことを頑なに主張し続けるなんてお前も犯罪者予備軍だ!」

と返されてしまっているのを見かけます。

 

しかしここでふと思いました。

この痴漢冤罪をやたらめったらと怖がり主張し続けている人、特に男性たち

この人たちは今まさに性被害に遭っている女性の立場に立てているんじゃないか?と

 

冤罪に恐怖する理由の一つは、

『男性という性』という自分ではどうしようもない部分を持っているだけで『してもいない性犯罪の犯人にされる(冤罪)』というところにあるんじゃないでしょうか。

もしその不条理に恐怖しているのであれば、少し考えて欲しい

 

それは正に女性たちが直面している

『女性という性』を持っているだけで『性犯罪に巻き込まれる』という問題を理解できる立場に一番近いはずなんです。

 

性という本人ではどうしようもない部分で受ける不条理があると、今まさに身をもって感じられている人がこれほど多いからこそ、冤罪に過敏に反応しているんじゃないでしょうか。

性別などの変え難い、むしろ変える必要のないアイデンティティだけで受ける不条理があるというのは認めがたいし、受け入れるのには苦痛もストレスもあります。

でもその痛みにもし寄り添えると気づいたならば、どうすればこの恐怖を払しょくできるのかを男性も女性もそうでない人も一緒に知恵を出し合って改善していける環境になっていくはずです。

そもそもこの問題を生み出しているのは実在する加害者なのだから、そこをどうしたら減らしていけるかという方向にそろそろシフトしていっても良いのではないでしょうか。

 

何度でも言われている言葉ですが、「痴漢行為そのものが無ければ冤罪もでっちあげも発生しない」のだから。